以下私の仲間のブログです。
【井の中の蛙 大海を知らず】
有名な諺だ。
「大海」は、いろいろな言葉に置き換えることができるが、どれをとっても大海を知らないことに否定的な意味になる。
この諺は、もとは荘子の「秋水篇」にある
「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」からきている。
後世になって、続きがつくられた。
【されど 空の青さを知る】
大海を知らなくても、
一つのことを突き詰めることにも価値がある、という意味だ。
私は、この続きの部分に
疑問がある。
「井の中」から見える空の青は
実際よりも、明るく、鮮やかに見えるからだ。
井戸の壁が、
煉瓦であれ、コンクリートであれ、土であれ
青みのある色ではない。
むしろ赤みがかった色だ。
色の対比による効果で、空の彩度は増して見える。
そのような「空」しか見ていない者が
「空の青さを知る」とは言えないのだ。
また、
井の中から空を見上げた瞬間
空の青さは、感じない。
むしろ、井戸の深さを強烈に実感し、不安になる。
もう二度と、空を見上げたいとは思えないのだ。
【されど 空の青さを知る】
この言葉は、言い訳でしかない。
大海へ出ることのできない人種によって
大海へ出ない言い訳と
自分の現状に満足するための言い聞かせのために
作られた言葉なのだ。
【井の中の蛙大海を知らず されど 空の青さを知る】
短い文の中に
3種類の蛙が存在することがわかる。
① 「井の中」だということも知らない蛙
② 「井の中の蛙」だと知っているが、
空の青さを知っていると言い訳をする蛙
③ 大海に出て、空の本当の青さを知る蛙
もっとも虚しいのは②であろう。
無知の知がありながら、それでも無知でいようとするからだ。
大海が大波だろうが、嵐だろうが
関係ない。
大海があることを知ったなら
井の外へ出ないことは、ただの怠惰でしかない。
一旦、大海へ出て
大時化で死んだっていい。
井戸の深さに恐怖を覚え、空を見上げない蛙。
見上げることはできても、
空の青さを知っていると言い訳する蛙。
どちらも無様だ。
大海で死ぬ瞬間、
井の中よりも空が青いかもしれないし
青くないかもしれない。
それでも、言い訳の空の青にすがって死ぬよりは
ずっとずっと
カッコイイと思う。
最高にかっこいい人です( ´θ`)ノ
どんどん引き込まれます( ´∀`)
ふざけた下ネタ書くのを本気でやめようかと思いますね〜
こんな思考をできる人が私の周りには沢山居てくれます(T-T)
感謝しかありません(T-T)
まさに「井の中の蛙」にならないよう上を目指し、上がろうとして落ちても、何度でも上を目指したいです( ̄^ ̄)ゞ
もう上がろうとしてる段階から愉しくて、結果さえも気にしてないかもしれません。
さて、本日は午後から空きがあります。
どうぞよろしくお願いします( ̄^ ̄)ゞ
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